東京医科大学の不正入試が話題になっている
※この記事内で、自分は不正入試に対し肯定も否定もしていません。
今、やたらと話題になっているニュースに東京医科大学の不正入試の件があります。そもそもこの話は、文部科学省の関係者のお子さんが入学できるように施しを受けたというニュースが発端でした。
しかしながらニュース自体はあっという間に広がって、いつの間にか女子受験生や三浪以上の男子受験生までもが意図的に点数を下げられていたなどの問題にまで波及しています。
まずこの件に関して、多くの人が東京医科大学を非難したくなる気持ちはわかります。あと、本来点数が足りていて合格したはずなのに落とされてしまった人達にも深く同情します。
ただ、今の現状だとちゃんと合格した東京医科大学の学生・卒業生までもが疑惑の目を向けられてそうだし、そもそも入試関係者はそれなりに考えてこのような採択をしたと思うので、彼らの気持ちもある程度は考慮する必要があるんじゃないかと思います。
性別・年齢で制限を設けられた理由を考える
このような差別を二度と繰り返さないためには一方的に批判するのではなく、起きてしまった理由をじっくりと考察してみる必要があると自分は考えます。
なぜ三浪以上の男子や、女子受験生に不利な状況で入試が行われたのかを考えると、一般的に医師は体力があって長期間働ける人材が好ましいと考えられているからだと思います。そして今の医療の質を維持するためには、過酷な状況に耐えうる屈強な人間を大量に投入する必要があると判断したのでしょう。
男性や女性は平等ですが、それぞれにおいて得意・不得意の分野があります。全ての方面で、お互いが協力し不足してる部分を補って生活すべきですが、医療の質を維持する問題に限っては男性の割合を高くする必要があると上層部の人は考えたわけですね。
不条理を受け入れなければいけない時代
そもそも僕達は生まれながらにして顔の美醜や学習・運動能力、家庭環境、経済状況の何から何まで異なります。顔が整っていなければ芸能人になれないし、運動能力がなければスポーツ選手になることだってできません。また、今回の東京医科大学の学費も決して安くはないので、貧しい家庭の子は初めから受験することは難しいです。なので始めからこの世は公平ではありません。今回の性別に限ったことではないのです。
今後の医学部入試はどのように変わるか分かりませんが、差別や不平等を完全に撤廃することは難しいため、我々は不条理な事にもある程度寛容に生きる必要がでてきたのではないかと、個人的に考えてしまいました。